沿革と歴史

農事組合法人ぐっど・はーべすと沿革

平成28年
「農事組合法人ぐっど・はーべすと」ホームページ開設
平成21年
法人名称を「農事組合法人ぐっど・はーべすと」に変更
平成15年
「みんなでがんばる集落営農促進事業」により様々な取り組みを強化、特にこだわり米、耕畜連携、直接販売の拡大を進める。
平成元年
「横山生産組合」がスタート(農事組合法人ぐっど・はーべすとの前身)。
昭和63年
地域の農業を集約化して生産組合への移行準備のため、「次世代を担う村づくりビジョン」策定。

農事組合法人ぐっど・はーべすとの建物

横山地域の歴史

昭40年代
農作業の本格的な機械化が進み、地域の生産量が飛躍的に向上。
昭30年代
高度成長期に伴い、弾丸道路と呼ばれた名神高速道路が横山町を縦断二分した。
近代
明治5年、滋賀県に所属。当時の戸数は38戸、人口170人。明治22年には、蒲生郡朝日野村大字横山となりました。大正8年の記録では、戸数41戸、人口239人とのことです。
近世
江戸期には550〜600石ほどの領地であったと文献が伝えています。ちなみに当時の1石はお米に換算すると約150kg(2.5俵)になりますので、約90t(1500俵)ほどの収量があったと思われます。
中世
鎌倉期に源頼朝がこの地を園城寺千僧供領として寄進したと吾妻鏡に記録があります。わずか数km離れた場所には、今でも千僧供町として名前が残っています。横山の名前は日吉社領注進記に元応元年(1319年)蒲生横山郷として記されています。
古代
近隣に弥生時代の集落遺跡(五反田遺跡、内堀遺跡)や雪野山古墳などあり、川の合流する肥沃な土地に古くから人の営みがあったと思われます。ちなみに、雪野山古墳は全長70mの前方後円墳として1989年に発見されました。標高約300mの雪野山山頂にあり、その頂の形を利用した古墳からは三角縁神獣鏡が出土しています。周辺に数多くの古墳群があるのも特徴です。

横山の歴史探訪

【写真】雪野山からの眺望と雪野山古墳群

雪野山歴史公園
(雪野山古墳、八幡社南古墳群、弥生時代の復元住居)

交通アクセス
・名神高速 蒲生スマートインター下りて2分
・JR近江八幡駅から路線バス「日八線」乗車、「羽田西」下車徒歩約20分